岩手の工芸・民芸品 南部鉄器
17世紀中頃南部藩の盛岡で京都から釜師を招いて茶の湯釜を作らせたのが始まりです。 旧伊達藩の奥州市水沢区では平安時代末期から日用品鋳物の生産が盛んです。 今日では焼型、乾燥型の鋳物作り、紋様押し、肌打ち、漆仕上げ等の伝統的技法により生産されています。 「質実剛健・丈夫で長持ち」これが南部鉄器のイメージですが、描かれた様々な絵柄紋様は作り人の心の機微や 温もりを肌で感じさせてくれます。
南部鉄器とは、岩手県盛岡市・奥州市で造られる物をいいます。 南部鉄器のルーツは二つに分かれます。 盛岡鋳物の始まりは、不来方(こずかた)と呼ばれていた盛岡の地に、 (蒲生氏郷の勧めで)南部氏が城を構えた 慶長年間(17世紀初期)といわれています。 南部藩の特産品として、茶の湯釜や鉄瓶などは、古くからの地域ブランド「南部」と称されてきました。 もうひとつの奥州市では、更に古く、平安後期(12世紀初期)に藤原清衡が、近江国から鋳物師を招き始まったといわれ、 江戸時代に仙台藩の庇護を受け発展してきました。両地区とも、茶釜・鉄瓶・鉄鍋、鉄釜・梵鐘…と色々な物を製造し、 幕末には大砲まで作ったそうです。
昭和20年以降、全国各地で鋳物生活用品が製造され、すべて「南部鉄器」と称して販売される混乱がありました。 現在は、昭和49年に制定された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」による指定をを第一期に受けて、”伝統的工芸品” となり、両地区での生産品を南部鉄器と称しています。 熟練職人の手による80余の行程を経て製造される実用性と芸術性豊かな南部鉄器は、 身近に置いて使いこなし、 長く受け継いでいきたいものです。
平安後期に起源を持つ水沢南部鉄器と、藩政時代から盛岡藩の庇護を受けて発達した盛岡南部鉄器。 2つの地域で異なる歴史を刻んできた南部鉄器ですが、盛岡では藩主が茶道を推奨したことから技術が発達。
18世紀には南部鉄瓶が開発され、一般の人々のもてなしにも広く用いられるようになりました。
現代の暮らしに溶け込む美しいフォルムと、使い勝手を高めた機能性。 既成概念を打ち破るモダンなデザインが、南部鉄器の可能性を広げています。 伝統と革新の融合から生まれた新しい鉄器は、広く海外にも輸出。 芸術性と実用性を両立したキッチンウェアとして、世界の注目を集めています。
南部鉄瓶/姥口アラレ鉄瓶独自の文様として知られるアラレ文様は、表面積を増し、保温効果を高めるという先人の知恵から生まれたもの。 |
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キャセロール墨色の滑らかな肌合いが美しい、南部鉄器のキャセロール。
ゆるやかな曲線が鉄のいかつい表情を和らげ、ぬくもりのある優しいデザインに。 |
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急須/曵船カラフルな色合いとモダンなデザインが目を引く急須は、ニューヨーク近代美術館のカフェで採用されたもの。 |
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コーヒーポット&ドリッパードリッパーとポットをセットにした機能的なコーヒーポット。一見して鉄器とは思えない、ポップな色合いがおしゃれ。 |
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